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MILES HISTORY

1926〜1953

1954〜1962

 

1926年から1962年までを掲載します。


   西暦

月日

 

1926

5月26日

イリノイ州アルトンに生まれる。
父マイルス・デイビス2世,母クレオタ・デイビス。

1927

 

イースト・セントルイスヘ転居。

1939

 

13歳の誕生日に父親からトランペットを贈られる。
リンカーン中学・高校を通じてエリオット・ブキャナンに師事。

1941

 

ミュージシャン・ユニオンに加入。
同じころ.クラーク・テリーと知り合う。

1942

 

16歳でアイリーン・バースと結婚。

1943

 

エディ・ランドールのブルー・デビルズに参加(〜44年6月)
クラーク・テリーと再会.セントルイス近辺のクラブで共演。
ソニ−・スティットからタイニー・ブラッドショウ楽団に誘われたが、両現の反対にあって断念

1944

6月

アダム・ランバートのバンドに数週間参加.

7月

ビリー・エクスタイン楽団がセントルイスに来た際、病気になったトランペッターの代役として参加。チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーと共演。

9月

母親の反対を押し切ってニューヨークのジュリアード音楽院に入学。

1945

 

4月24月

ハービー・フィールズ・バンドのサボイ録音でレコーディング初体験。

5月

エディ・ロックヅョウ・デイビスのバンドで・スポットライトに1ヶ月出演

ジュリアード音楽院を辞め.チャーリー・パーカー・クインテットのメンバーとして活動開始。
並行してコールマン・ホーキンス、セロニアス・モンク、サー・チャールス・トンプソンらと共演

11月26日

パーカー・クインテットでサボイに初録音

12月

イースト・セントルイスヘ休暇のため戻ったが、地元のクラブ「リビエラ」に出演中のベニー・カーター楽団で演奏。
そのままカーター楽団と西海岸へ楽旅、同じく西海岸ヘ巡演していたチャーリー・パーカーと合流

1946

 

3月28日

ハリウッドで、パーカーのダイアル・セッションに参加。

7月

パーカーの入院に伴い、ラッキー・トンプソンらと活動。
アート・ファーマー、チャールス・ミンガスとも親しくなる。

8月下旬

ロサンゼルスにやってきたビリー・エクスタインが楽団に参加。
5ヶ月間のツアーの末ニューヨークへ戻る。この間、始めて麻薬〈コカイン〉に手を染める。

1947

3月

イリノイ・ジャッケー楽団のアラジン録音に参加

4月

ディジー・ガレスピー・ビッグ・バンドの一員としてマッキンレー劇場のコンサートに参加。
ニューヨークヘ戻ったチャーリー・パーカーと活動再開

8月14日

サボイで初リーダー・セッションを持つ。
この頃〈ドナ・リー〉が縁で、ギル・エバンスと知リ合う。

1948

エスクァイア誌の47年度批評家投票でトランペット部門の新人賞獲得。
ダウンビート誌で同部門でディジー・ガレスピーとともに首位。

9月

パーカー・クインテットで「ロイヤル・ルースト」に毎週出演(〜12月)

デューク・エリントン本人から楽団に誘われたが、「白分のやりたい音楽があるから」と断る。

12月

クリスマスのステージでパーカーと決裂。レギュラーから降りる。

1949

1月3日

RCAでメトロノーム・オールスターズのレコーディングに参加。
ディジー・ガレスピー、ファッツ・ナバロとセクションを共演.

1月

ソニー・ロリンズを擁した自己のクインテットで「オニックス」に出演。
ラッキー・トンプソンらとジャム・セッションをこなす。
21日キャピトルで「クールの誕生」の第1回レコーディング。
(以降4月21日,50年3月9日にも録音)

2月

タッド・ダメロンのビッグ・テンの一員として"ロイヤル・ルースト」に出演。

5月

タッド・ダメロン・クインテットの一員として初渡欧。パリ・ジャズ・フェスティバルに出演。
また、ジュリエット・グレコと知り合い,恋に落ちる。

後半

帰国後,麻薬癖が激しくなり、演奏活動も途絶え、生活が荒れる。

12月25日

カーネギーホールでのコンサート「スターズ・オブ・モダン・ジャズ」に出演。

1950

前半

2月から「バードランド」を中心にリーダー及びサイドマンとしてライブ活動を展開。

5月18日

サラ・ボーンの「イン・ハイ・ファイ」の録音に参加。

6月

バードランドにパーカーのチェインジ・バンドとしてオールスターズで参加。

イースト・セントルイスに一時戻った後、ビリー・エクスタイン楽団のツアーに参加。
最後の地ロサンゼルスで麻薬常習の疑いにより逮捕される。
出獄後、同地でデクスター・ゴードンやアート・ファーマーと共演。

イースト・セントルイス経由でニューヨークへ戻る。

12月

シカゴのハイ・ノートへ数週間、ビリー・ホリディーと出演。
同地を訪れたプレステージ・レコードのオーナー、ボスワインストックとレコーディング契約。

1951

1月17日

パーカーのバーブ盤「スウェディッシュ・シュナップス」に客演。
その後、プレスティッジで自身及びソニー・ロリンズのセッションをこなす。

1月24日

メトロノーム・オールスターズのレコーディングに参加。
(同誌の読者人気投票では,53年まで連続して首位)

2月下旬

自己のオールスターズで「バードランド」に出演。

3月3日

リー・コニッツのプレスティッジ・セッションに参加。
『コンセプション』に収録。

6月

白己のオールスターズで「バードランド」に出演。

9月

白己のオールスターズで「バードランド」に出演。

10月5日

ソニー・ロリンズらと『ディグ』録音。

1952

イースト・セントルイスへ戻る。同地で数週間ジミー・フォレストと共演。

5月

ジャッキー・マクリーンを含むオールスターズで「バードランド」に出演。

5月9日

ブルーノート・レコードへ第l回目のレコーディング。

シンフォニー・シッド・オールスターズの一員として各地を楽旅。

1953

1月30日

チャーリー・パーカー,ソニー・ロリンズらと『コレクターズ・アイテム』用の第l回目セッション。

2月19日

アル・コーン,ズート・シムズらと『マイルス・デイビス・アンド・ホーンズ』録音。

4月20日

ブルーノート・レコードへ第2回目のレコーディング。

5月

自己のセクステットを率い“バードランド”に出演。

5月l9日

『ブルー・へイズ」用の第l回目セッション。

6月

ガレスピー,バーカーと“バードランド”で共演。

イースト・セントルイスに戻る。

8月下旬

マックス・ローチとチャ一ルス・ミンガスが西海岸へ向かう途中.イースト・セントルイスヘ立ち寄る。この旅に同行して西海岸へ。

9月

カリフォルニアでは“ライトハウス”などのクラブに出演。
ハワード・ラムゼイのライトハウス・オールスターズとも共演。

同地でフランシス・テイラーと知り合う。“ライトハウス”の白人バーテンダーといさかいを起こし,警察に留置される。麻薬と縁を切ることを決意し,イースト・セントルイスへ戻る。
父親の農園内のゲスト・ハウスにl週間閉じこもり,ついに麻薬癖を克服。

デトロイトに赴き、エルビン・ジョーンズ、トミー・フラナガンら地元のミュージシャンたちと共演。


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