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MILES HISTORY

1926〜1953

1954〜1962

 

1926年から1962年までを掲載します。


   西暦

月日

1954

2月末

ニューョークに戻る。

3月6日

ブルーノート・レコードヘ第3回目のレコーディング。

3月

プレスティッジと3年間の再契約。

3月15日

『ブルー・へイズ』用のセッション(4月3日にも)

4月3日

『ウォーキン』用のレコーディング(29日にも)

6月29日

『バグス・グルーブ』用の第1回目セッション。

フィリー・ジョー・ジョーンズとふたりで,たびたび楽旅。
行く先々の地元のミュージシャンたちと共演。
ボクシングを習いはじめる。

夏〜秋

ニューョークのクラブでジャム・セッションを積極的にこなす。

12月24日

俗に言うセロニアス・モンクとのケンカ・セッションを録音。
『バグス・グルーブ』『アンド・モダン・ジャズ・ジャイアンツ』に分散収録される。

1955


 

3月10日頃

アイリーンから扶養義務不履行で訴えられ、ライカース島の刑務所に入る(数日)。
その間の3月12日にチャーリー・パーカー死去。

6月7日

『ミュージング.オブ・マイルス』録音。以前から注目していたレッド・ガーランドと共演。

7月

二ューポート・ジャズ・フェスティバルに出演。〈ラウンド・アバウト・ミッドナイト〉のソロが大喝果を浴び、一躍スターに。
ソニー・ロリンズ,レッド・ガーランド,ポール・チェンバス,フィリー・ジョー・ジョーンズを擁したクインテットを結成し“カフェ・ボヘミア”に出演。評判を呼ぶ(〜8月)
同クラブにチェンジ・バンドとして出ていたオスカー・ペティフォード・グループのメンバー,キャノンボール・アダレイの才能に注目する。

7月9日

チャールズ・ミンガムのデビュー・レコードで「ブルー・ムーズ」録音。

8月5日

ミルト・ジャクソン,ジャッキー・マクリーンらと『マイルス・デイビス・アンド・ミルト・ジャクソン』録音。

8月末

9月下句からボルチモア、デトロイト、シカゴ、セントルイス、ニューヨークと回るツアーが決定したが、ロリンズが行方不明。
リハーサルでジョン・ギルモア、ジョン・コルトレーンを試すもバンド参加には至らず。

9月下句

再びコルトレーンにアプローチし、最初の公演地ボルチモアで合流。
ついにレギュラー・クインテットが固まる。ツアーは行く先々で大成功。

l0月

“カフェ・ボヘミア”に戻ってきたクィンテットは大反響を巻起こし、クラブは連日盛況。
マイルスは本格的スターの道を歩みはじめる。
コロムビア・レコード(CBS)と契約。
アドバンス4,000ドル、年間契約金30万ドル。

10月27日

CBSで初レコーディング。
『ラウンド・アバウト・ミッドナィト』他に収録。

11月16日

新クインテットでプレスティッジに『マイルス』録音。

1956

1月6日

ハリウッドの“ジャズ・シティ”に2週間出演。

1月24日

サンフランシスコの“ブラック・ホーク”に2週間出演。

引き続き“カフェ・ボヘミア”に出演(〜10月)

3月16日

ソニー・ロリンズ、トミー・フラナガンらと、プレスティッジの『コレクターズ・アイテム』用の第2回目セッション。

5月11日

プレスティッジとの契約を果たすため、レギュラー・クィンテットで第1回目のマラソン・セッション(14曲録音)
『ワーキン』『スティーミン』『リラクシン』に分散収録。

6月5日

CBSで2回目のレコーディング。
『ラウンド・アバウト・ミッドナィト』に収録。

7月6日

ニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演。

9月10日

CBSで3回目のレコーディング。
「ラウンド・アバウト・ミッドナィト」他に収録。

10月20日

CBSで、ガンサー・シュラー、ジョン・ルイスらと共演。
『ミュージック・フォー・ブラス』に収録。

10月26日

プレスティッジで第2回目のマラソン・セッション(12曲録音)。これを最後にプレスティッジを離れる。
『ワーキン』『スティーミン』『リラクシン』『クッキン』に分散収録。

10月

ソニー・ロリンズを迎えたクインテットで“カフェ・ボヘミア”に出演。

11月

ソロイストとして、レスター・ヤング、モダン・ジャズ・カルテットらとヨーロッパへのパッケージ・ツアーに参加。
パリ、アムステルダム、ストックホルムで演秦。

12月

レギュラー・クインテットで「カフェ・ボヘミア」に出演。
フィラデルフィア、シカゴ、セントルイス、ロサンぜルス、サンフランシスコと回るツアーに出発。

1957

2月末

ツアー終了後、麻薬癖を理由にコルトレーン、フィリー・ジョ一を解雇。

3月

ロリンズ、アート・テイラーを迎えた新クィンテットで、「カフェ・ボヘミア」に出演しはじめる。

5月6日

ギル・エバンスと『マイルス・アヘッド』録音開始け10日、23日、27日も)

7月

レギュラー・クインテットのピアノをトミー・フラナガンに代える。

3ヵ月の休養をとり、咽頭ポリープの手術を受ける。
手術直後プロモーターを怒鳴りつけ、声帯をダメにする。

7月9日

チャールズ・ミmmガムのデビュー・レコードで「ブルー・ムーズ」録音。

7月

ソニー・ロリンズ,レッド・ガーランド,ポール・チェンバス,フィリー・ジョー・ジョーンズを擁したクインテットを結成し“カフェ・ボヘミア”に出演,評判を呼ぶ(〜8月)
同クラブにチェンジ・バンドとして出ていたオスカー・ペティフォード・グループのメンバー,キャノンボール・アダレイの才能に注目する。

8月5日

ミルト・ジャクソン,ジャッキー・マクリーンらと『マイルス・デイビス・アンド・ミルト・ジャクソン』録音。

8月末

9月下句からボルチモア、デトロイト、シカゴ、セントルイス、ニューヨークと回るツアーが決定したが、ロリンズが行方不明。
リハーサルでジョン・ギルモア、ジョン・コルトレーンを試すもバンド参加には至らず。

ボビー・ジャスパー、フラナガン、チェンバース、フィリー・ゾョーからなるクインテットを結成。活動再会

9月下句

再びコルトレーンにアプローチし、最初の公演地ボルチモアで合流。ついにレギュラー・クインテットが固まる。
ツアーは行く先々で大成功。

l0月

“カフェ・ボヘミア”に戻ってきたクィンテットは大反響を巻起こし、クラブは連日盛況。マイルスは本格的スターの道を歩みはじめる。
コロムビア・レコード(CBS)と契約。
アドバンス4,000ドル、年間契約金30万ドル。

10月27日

CBSで初レコーディング。
『ラウンド・アバウト・ミッドナィト』他に収録。

11月16日

新クインテットでプレスティッジに『マイルス』録音。

1959

2月

ガーランドが抜け、ウィントン・ケリーが参加。

3月2日

『カインド・オブ・ブルー』の第1回録音(2回目は4月22日)

4月2日

CBSテレビの『サウンド・オブ・マイルス』に出演、セクステットとギル・エバンス・オーケストラで演奏。

4月

“バードランド”に出演(8月にも)

6月

ロサンゼルスの“シュライン・オーディトリアム”でコンサート。

7月

ニューヨークの“セント・ニコラス・アリーナ”で行なわれたジャズ・フェスティバルに出演。

8月7日

シカゴで行なわれた第1回プレイボーイ・ジャズ・フェスティバルに出演。

8月26日

出演していた“バードランド”の前の路上で警官から暴行を受け,頭部を5針縫う。

9月下旬

キャノンボールが退団。バンドはクインテット編成になる。

11月20日

ギルと『スケッチ・オブ・スペイン』録音(翌年3月10日、11日も)

12月

ダウンビート誌読者人気投票、同国際批評家投票でトランペット部門の首位。また同誌59年度ジャズ・パーソナリティにも選ばれる。

1960

1月

メロディ・メイカー誌読者人気投票でトランペット部門の首位。

2月

シカゴの“サザーランド・ラウンジ”にクインテットで出演。

フィラデルフィアの“ショウ・ボート”にクインテットで出演。

3月

J.A.T.P.のヨーロッパ・ツアーにクインテットで参加。パリ、ストックホルム、コペンハーゲン、シベニンゲンほかで演奏。

4月

コルトレーンが独立、短期間ジミー・ヒースが参加。

8月

ソニー・スティットが新加入、“ビレッゾ・バンガード”に出演。

9月

新クィンテットで,再びヨーロッパ・ツアー。イギリス国内、パリ、ストックホルムで演奏。

11月

“ビレッジ・バンガード”に2週間出演。途中からスティツト入院のため、ジミー・ヒースが臨時参加。

12月21日

フランシス・テイラーと結婚。

1961

1月

スティットに代わりハンク・モブレーが参加。

3月7日

『サムデイ・マイ・プリンス・ウイル・カム』を録音(20日、21日にも)

3月

白宅を開放し、ミュージシャンと評論家の討論会を開催。

4月21日

サンフランシスコの“ブラック・ホーク”に1週間出演、ライブ録音も。

5月19日

“カーネギー・ホール”で行なわれた≪アフリカン・リサーチ・ファウンデーション≫のチャリティ・コンサートに出演。
クインテットおよびギル・エバンス、オーケストラで演奏。
『アット・カーネギー・ホール』『モア・ミュージック・フロム・カーネギー・ホール』として後に発表される。

5月

ファッション雑誌ジェントルメン・クォータリーで≪5月のファッション・パーソナリティ≫に選ばれる。

5月29日

J.J.ジョンソンを加えたセクステットで“ショウ・ボート”に出演。

9月

ケリー、コブが退団。ガーランドとフィリー・ジョーが再加入。(12月には再びコブが戻る)

12月19日

“ヅャズ・ギャラリー”に出演(〜1月2日)

1962

2月

シカゴ・ジャズ・フェスティバルに出演。

3月20日

ロサンぜルスの“ルネッサンス”において6週間のギグ(〜4月30日)

4月下旬

J.J.ジョンソン、ロリンズ、ケリー、チェンバース、コブとのクインテットを編成しツアーに出発。

5月1目

シカゴの“サザーランド・ラウンジ”に出演(〜5月13日)

7月27日

ギル・エバンスと『クワイエット・ナイト』録音。
(8月13日、11月6日、翌年4月17日にも録音)

8月21日

臨時編成によるセクステットでレコーディング。ウェイン・ショーターと初共演(23日も)。
『ジングル・ベル・ジャズ』『ソーサラー』に収録。

8月

“ビレッジ・バンガード”に9月初句まで出演。


1926〜1953

1954〜1962

 

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