1954〜1962 |

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西暦 |
月日 |
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1954 |
2月末 |
ニューョークに戻る。 |
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3月6日 |
ブルーノート・レコードヘ第3回目のレコーディング。 |
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3月 |
プレスティッジと3年間の再契約。 |
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3月15日 |
『ブルー・へイズ』用のセッション(4月3日にも) |
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4月3日 |
『ウォーキン』用のレコーディング(29日にも) |
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6月29日 |
『バグス・グルーブ』用の第1回目セッション。 |
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夏 |
フィリー・ジョー・ジョーンズとふたりで,たびたび楽旅。 |
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夏〜秋 |
ニューョークのクラブでジャム・セッションを積極的にこなす。 |
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12月24日 |
俗に言うセロニアス・モンクとのケンカ・セッションを録音。 |
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1955
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3月10日頃 |
アイリーンから扶養義務不履行で訴えられ、ライカース島の刑務所に入る(数日)。 |
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6月7日 |
『ミュージング.オブ・マイルス』録音。以前から注目していたレッド・ガーランドと共演。 |
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7月 |
二ューポート・ジャズ・フェスティバルに出演。〈ラウンド・アバウト・ミッドナイト〉のソロが大喝果を浴び、一躍スターに。 |
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7月9日 |
チャールズ・ミンガムのデビュー・レコードで「ブルー・ムーズ」録音。 |
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8月5日 |
ミルト・ジャクソン,ジャッキー・マクリーンらと『マイルス・デイビス・アンド・ミルト・ジャクソン』録音。 |
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8月末 |
9月下句からボルチモア、デトロイト、シカゴ、セントルイス、ニューヨークと回るツアーが決定したが、ロリンズが行方不明。 |
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9月下句 |
再びコルトレーンにアプローチし、最初の公演地ボルチモアで合流。 |
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l0月 |
“カフェ・ボヘミア”に戻ってきたクィンテットは大反響を巻起こし、クラブは連日盛況。 |
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10月27日 |
CBSで初レコーディング。 |
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11月16日 |
新クインテットでプレスティッジに『マイルス』録音。 |
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1956 |
1月6日 |
ハリウッドの“ジャズ・シティ”に2週間出演。 |
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1月24日 |
サンフランシスコの“ブラック・ホーク”に2週間出演。 |
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春 |
引き続き“カフェ・ボヘミア”に出演(〜10月) |
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3月16日 |
ソニー・ロリンズ、トミー・フラナガンらと、プレスティッジの『コレクターズ・アイテム』用の第2回目セッション。 |
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5月11日 |
プレスティッジとの契約を果たすため、レギュラー・クィンテットで第1回目のマラソン・セッション(14曲録音) |
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6月5日 |
CBSで2回目のレコーディング。 |
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7月6日 |
ニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演。 |
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9月10日 |
CBSで3回目のレコーディング。 |
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10月20日 |
CBSで、ガンサー・シュラー、ジョン・ルイスらと共演。 |
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10月26日 |
プレスティッジで第2回目のマラソン・セッション(12曲録音)。これを最後にプレスティッジを離れる。 |
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10月 |
ソニー・ロリンズを迎えたクインテットで“カフェ・ボヘミア”に出演。 |
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11月 |
ソロイストとして、レスター・ヤング、モダン・ジャズ・カルテットらとヨーロッパへのパッケージ・ツアーに参加。 |
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12月 |
レギュラー・クインテットで「カフェ・ボヘミア」に出演。 |
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1957 |
2月末 |
ツアー終了後、麻薬癖を理由にコルトレーン、フィリー・ジョ一を解雇。 |
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3月 |
ロリンズ、アート・テイラーを迎えた新クィンテットで、「カフェ・ボヘミア」に出演しはじめる。 |
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5月6日 |
ギル・エバンスと『マイルス・アヘッド』録音開始け10日、23日、27日も) |
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7月 |
レギュラー・クインテットのピアノをトミー・フラナガンに代える。 |
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夏 |
3ヵ月の休養をとり、咽頭ポリープの手術を受ける。 |
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7月9日 |
チャールズ・ミmmガムのデビュー・レコードで「ブルー・ムーズ」録音。 |
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7月 |
ソニー・ロリンズ,レッド・ガーランド,ポール・チェンバス,フィリー・ジョー・ジョーンズを擁したクインテットを結成し“カフェ・ボヘミア”に出演,評判を呼ぶ(〜8月) |
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8月5日 |
ミルト・ジャクソン,ジャッキー・マクリーンらと『マイルス・デイビス・アンド・ミルト・ジャクソン』録音。 |
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8月末 |
9月下句からボルチモア、デトロイト、シカゴ、セントルイス、ニューヨークと回るツアーが決定したが、ロリンズが行方不明。 |
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秋 |
ボビー・ジャスパー、フラナガン、チェンバース、フィリー・ゾョーからなるクインテットを結成。活動再会 |
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9月下句 |
再びコルトレーンにアプローチし、最初の公演地ボルチモアで合流。ついにレギュラー・クインテットが固まる。 |
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l0月 |
“カフェ・ボヘミア”に戻ってきたクィンテットは大反響を巻起こし、クラブは連日盛況。マイルスは本格的スターの道を歩みはじめる。 |
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10月27日 |
CBSで初レコーディング。 |
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11月16日 |
新クインテットでプレスティッジに『マイルス』録音。 |
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1959 |
2月 |
ガーランドが抜け、ウィントン・ケリーが参加。 |
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3月2日 |
『カインド・オブ・ブルー』の第1回録音(2回目は4月22日) |
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4月2日 |
CBSテレビの『サウンド・オブ・マイルス』に出演、セクステットとギル・エバンス・オーケストラで演奏。 |
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4月 |
“バードランド”に出演(8月にも) |
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6月 |
ロサンゼルスの“シュライン・オーディトリアム”でコンサート。 |
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7月 |
ニューヨークの“セント・ニコラス・アリーナ”で行なわれたジャズ・フェスティバルに出演。 |
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8月7日 |
シカゴで行なわれた第1回プレイボーイ・ジャズ・フェスティバルに出演。 |
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8月26日 |
出演していた“バードランド”の前の路上で警官から暴行を受け,頭部を5針縫う。 |
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9月下旬 |
キャノンボールが退団。バンドはクインテット編成になる。 |
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11月20日 |
ギルと『スケッチ・オブ・スペイン』録音(翌年3月10日、11日も) |
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12月 |
ダウンビート誌読者人気投票、同国際批評家投票でトランペット部門の首位。また同誌59年度ジャズ・パーソナリティにも選ばれる。 |
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1960 |
1月 |
メロディ・メイカー誌読者人気投票でトランペット部門の首位。 |
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2月 |
シカゴの“サザーランド・ラウンジ”にクインテットで出演。 フィラデルフィアの“ショウ・ボート”にクインテットで出演。 |
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3月 |
J.A.T.P.のヨーロッパ・ツアーにクインテットで参加。パリ、ストックホルム、コペンハーゲン、シベニンゲンほかで演奏。 |
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4月 |
コルトレーンが独立、短期間ジミー・ヒースが参加。 |
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8月 |
ソニー・スティットが新加入、“ビレッゾ・バンガード”に出演。 |
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9月 |
新クィンテットで,再びヨーロッパ・ツアー。イギリス国内、パリ、ストックホルムで演奏。 |
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11月 |
“ビレッジ・バンガード”に2週間出演。途中からスティツト入院のため、ジミー・ヒースが臨時参加。 |
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12月21日 |
フランシス・テイラーと結婚。 |
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1961 |
1月 |
スティットに代わりハンク・モブレーが参加。 |
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3月7日 |
『サムデイ・マイ・プリンス・ウイル・カム』を録音(20日、21日にも) |
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3月 |
白宅を開放し、ミュージシャンと評論家の討論会を開催。 |
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4月21日 |
サンフランシスコの“ブラック・ホーク”に1週間出演、ライブ録音も。 |
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5月19日 |
“カーネギー・ホール”で行なわれた≪アフリカン・リサーチ・ファウンデーション≫のチャリティ・コンサートに出演。 |
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5月 |
ファッション雑誌ジェントルメン・クォータリーで≪5月のファッション・パーソナリティ≫に選ばれる。 |
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5月29日 |
J.J.ジョンソンを加えたセクステットで“ショウ・ボート”に出演。 |
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9月 |
ケリー、コブが退団。ガーランドとフィリー・ジョーが再加入。(12月には再びコブが戻る) |
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12月19日 |
“ヅャズ・ギャラリー”に出演(〜1月2日) |
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1962 |
2月 |
シカゴ・ジャズ・フェスティバルに出演。 |
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3月20日 |
ロサンぜルスの“ルネッサンス”において6週間のギグ(〜4月30日) |
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4月下旬 |
J.J.ジョンソン、ロリンズ、ケリー、チェンバース、コブとのクインテットを編成しツアーに出発。 |
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5月1目 |
シカゴの“サザーランド・ラウンジ”に出演(〜5月13日) |
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7月27日 |
ギル・エバンスと『クワイエット・ナイト』録音。 |
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8月21日 |
臨時編成によるセクステットでレコーディング。ウェイン・ショーターと初共演(23日も)。 |
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8月 |
“ビレッジ・バンガード”に9月初句まで出演。 |
1954〜1962